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藤本とだけは頑なに一緒にいようとしないれいな

1 名前:名無し募集中。。。 [] :2006/11/07(火) 22:49:19.31 0
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24 名前:名無し募集中。。。 [] :2006/11/08(水) 16:50:58.69 0
未成年ホステスからトップアイドルにまで
上り詰めた藤本美貴というカリスマについて
今日はとことん語りたい

藤本がいかにして自らを飛翔させトップアイドルへと成り得たのか
これを解明していくことによって
アイドルという文化をいまいちど検証しなおしていきたいと思う

1985年2月26日これが彼女の誕生日である
生誕一年後の1986年、テレビアニメ「ドラゴンボール」
が放送開始される。このアニメが潜在意識のなかに
スーパー美貴様モードを生み出す糧になったとおもわれる。

26 名前:名無し募集中。。。 [] :2006/11/08(水) 16:51:52.01 0
中略

彼女は1999年にavex dream 2000に応募、そして落選している
このことがAvexへの憤り観に変わり、
のちにアイドルモードへの勢いを加速させる材料になったと思われる。

2000年四月。モーニング娘。第3回追加オーディション開催
みごと最終選考まで残った藤本はここで惜しくも落選、
しかしその眼光の鋭さを見た審査員のひとりがおもわず声を上げた。
「ああ!なんだこのオーラは!この娘は将来歌謡文化に
とてつもない衝撃を与えるのであろう、まさに歌謡曲の女王の金の卵である!!」

翌年2001年、10月、テレビ東京『新・美少女日記』の放送が始まり
藤本美貴が正式にメディアに登場してくることになる、
アイドルらしからぬそのどす黒いオーラを遺憾なく発揮した演技は
見るものを混沌の闇へと埋没させ、こ、これがハロープロジェクトか?!
などと視聴者の脳天を直撃チョップ、誰もが飲んでたコーラを思わず噴出したのだ。
わたしはこの衝撃的なメディアデビューを忘れることはないだろう


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